今年66歳になりましたが、この歳になるまで、正確な理解ができていないことに気付きました。
それは、「袖振り合うも多生の縁」です。
「袖振り合う」とは、道を行くとき、見知らぬ人と袖が触れ合う程度のことだとは理解していました。
「多生の縁」は、「多少の縁」と誤解していました。
調べると「多生の縁」が正しいのですね。それは、仏語で、何度も生まれ変わること、つまり輪廻(りんね)のことのようです。
これは、現世で小さなこと、偶然と思うことであっても、それは、自分自身が気付いていない深い宿縁やご縁によるものであり、その機会を大切にして生きることを教えています。
「袖振り合うも多生の縁」に関連して、戦国時代から江戸時代にかけて活躍した剣豪、剣術家の柳生宗矩の、名言がありました。
小才は、縁に出合って縁に気づかず、
中才は、縁に気づいて縁を生かさず、
大才は、袖すり合った縁をも生かす。
柳生宗矩は、浪人から、最終的に、徳川政権樹立や三代将軍である徳川家光の兵法指南役となり、最終的に江戸幕府の初代大目付となった人物とのことです。
この意味は、次のような意味ですね。
小才は、縁があったのに気付くことをせず「縁が無い」「人脈が無い」からダメだと嘆くだけ。
中才は、縁があるのにその縁が活かせるとは思わず、もしくは気付いていた縁が違う方面でも活きるのに、縁を活かそうとしない。
大才は、袖すり合ったわずかなご縁をも、大切にして活かすことで活路が拓かれていくということですね。
柳生宗矩の生き方を表してもいますね。(林哲也)