スタッフのつぶやき

夏なのに・・・
2014.08.25

湿度が高くて
雨が多い
今日も雨
 命を育む恵みであってほしい

当社は創業して15年となりました
2014.08.10

 

当社は創業して15年となりました。創業は、1999年4月でした。創業の目的は2000年から施行される介護保険への参入のためでしたが、あまり人には語らなかった密かな思いを持っていました。ひと言で言えば「贖罪」でした。
少し私的なことを書きますが、30年前のとある日、私の祖母が家の橫の川に転落、大腿骨を骨折して入院しました。数ヶ月後には見事に今で言う認知症となって退院しました。
そ れからは、嫁である私の母が姑の介護の担い手となりました。母は、家業である酒・タバコ・日用品を販売する田舎の雑貨店の経営者でした。これが今で言うと ころの「嫁を頼りにした家族介護」でした。店先で顧客対応をしながら座敷で寝ている姑の食事から下の世話等をしていました。
祖母の腰には、徘徊防止のためのヒモが結びつけられ、座敷に閉じ込められていました。
当時、母が父に「町役場に相談したら”ヘルパー”さんが来てくれるらしい」と相談していました。父はひと言「近所の手前格好悪い」と聞き入れませんでした。
最初の1年目は、「早く元気になって」と願うように関わっていましたが、2年目ともなると家の雰囲気が暗くなり、帰りたくない「家」となりました。そうなると「早く死んで欲しい」と願うまでになりました。
祖母は、私が18歳の春に5月の陽光が差し込む座敷の布団の上で看取られました。
当時で言えば、あたりまえでしたが、ショートステイという制度も無く、訪問介護を受け入れることもなく、ディサービスも利用はありませんでした。
介護の現場では、よく言われることですが、介護に関わる者には段階があります。
第1 ― とまどい・否定
第2 ― 混乱・怒り・拒絶
第3 ― あきらめ・割り切り
第4 ― 受容
まず第1ステップは「とまどい・否定」です。親子関係の介護で見かけるのですが、しっかりしていた人が突然変なことを言い始めたり、今までできていた簡単なことができなくなったりすると、この状態を認めたくないということで家族は戸惑い、現状否定をします。
第 2ステップは「混乱・怒り・拒絶」です。「戸惑い・否定」をしても、現実には異常な言動が続くと家族は、そのような言動に対してどう理解し対応してよいか 分かららなくなって、混乱状態になり、どなったり、場合によっては手が出たりします。介護の現場では、この段階が最も長く辛いように思います。
第3ステップは、「割り切り・あきらめ」です。この段階に至るまでが苦しみの連続です。「私のほうが消耗するだけ損だから、そのままにしておこう」と介護者の混乱は軽くなります。これが、「割り切り、あきらめ」です。
この段階に至ると介護の内容が変わります。
介護者と認知症の人との関係は「鏡」のようなもので、介護者の気持ちも相互作用します。介護者がイライラしていると、相手もイライラします。穏やかな気持ちになると、相手も穏やかなになります。
母の祖母への介護は、第2と第3のステップを行き来しながら苦しむ時期が長かったようです。その姿を見ていた18歳の私は、「もう早く死んでくれ」と心から願ったのでした。
母親は、商店の切り盛りは大変でしたが、一方では、社会の関わりの場として救いの関係ではあったようです。
こうして、最後の第4のステップとして、認知症症状を呈している認知症の人の心理を自分自身に投影できるようになり、あるがままの家族の一員として受けいれることができるようになる段階として「受容」が訪れることになります。
母の場合は、看取りを明確に意識した時期には、心の救済のために、地場の真言宗の座に心のよりどころを求めたようでした。(私自身は無神論者ですが)こうした看取る者の救済では宗教はとても大きな役割を果たします。
当時、まだ若かった私は、看取りの大切さを理解せず、ましてや「受容」は理解の及ぶところではありませんでした。
肉親の「死を望んでいた」こと、これが私の介護に関わることになった「贖罪」の実態です。

当社は創業して15年となりました。創業は、1999年4月でした。創業の目的は2000年から施行される介護保険への参入のためでしたが、あまり人には語らなかった密かな思いを持っていました。ひと言で言えば「贖罪」でした。

少し私的なことを書きますが、30年前のとある日、私の祖母が家の橫の川に転落、大腿骨を骨折して入院しました。数ヶ月後には見事に今で言う認知症となって退院しました。

それからは、嫁である私の母が姑の介護の担い手となりました。母は、家業である酒・タバコ・日用品を販売する田舎の雑貨店の経営者でした。これが今 で言うところの「嫁を頼りにした家族介護」でした。店先で顧客対応をしながら座敷で寝ている姑の食事から下の世話等をしていました。

祖母の腰には、徘徊防止のためのヒモが結びつけられ、座敷に閉じ込められていました。

当時、母が父に「町役場に相談したら”ヘルパー”さんが来てくれるらしい」と相談していました。父はひと言「近所の手前格好悪い」と聞き入れませんでした。

最初の1年目は、「早く元気になって」と願うように関わっていましたが、2年目ともなると家の雰囲気が暗くなり、帰りたくない「家」となりました。そうなると「早く死んで欲しい」と願うまでになりました。

祖母は、私が18歳の春に5月の陽光が差し込む座敷の布団の上で看取られました。

当時で言えば、あたりまえでしたが、ショートステイという制度も無く、訪問介護を受け入れることもなく、ディサービスも利用はありませんでした。

介護の現場では、よく言われることですが、介護に関わる者には段階があります。

 

第1 ― とまどい・否定

第2 ― 混乱・怒り・拒絶

第3 ― あきらめ・割り切り

第4 ― 受容

 

まず第1ステップは「とまどい・否定」です。親子関係の介護で見かけるのですが、しっかりしていた人が突然変なことを言い始めたり、今までできていた簡単なことができなくなったりすると、この状態を認めたくないということで家族は戸惑い、現状否定をします。

第2ステップは「混乱・怒り・拒絶」です。「戸惑い・否定」をしても、現実には異常な言動が続くと家族は、そのような言動に対してどう理解し対応し てよいか分かららなくなって、混乱状態になり、どなったり、場合によっては手が出たりします。介護の現場では、この段階が最も長く辛いように思います。

第3ステップは、「割り切り・あきらめ」です。この段階に至るまでが苦しみの連続です。「私のほうが消耗するだけ損だから、そのままにしておこう」と介護者の混乱は軽くなります。これが、「割り切り、あきらめ」です。

この段階に至ると介護の内容が変わります。

介護者と認知症の人との関係は「鏡」のようなもので、介護者の気持ちも相互作用します。介護者がイライラしていると、相手もイライラします。穏やかな気持ちになると、相手も穏やかなになります。

母の祖母への介護は、第2と第3のステップを行き来しながら苦しむ時期が長かったようです。その姿を見ていた18歳の私は、「もう早く死んでくれ」と心から願ったのでした。

母親は、商店の切り盛りは大変でしたが、一方では、社会の関わりの場として救いの関係ではあったようです。

こうして、最後の第4のステップとして、認知症症状を呈している認知症の人の心理を自分自身に投影できるようになり、あるがままの家族の一員として受けいれることができるようになる段階として「受容」が訪れることになります。

母の場合は、看取りを明確に意識した時期には、心の救済のために、地場の真言宗の座に心のよりどころを求めたようでした。(私自身は無神論者ですが)こうした看取る者の救済では宗教はとても大きな役割を果たします。

当時、まだ若かった私は、看取りの大切さを理解せず、ましてや「受容」は理解の及ぶところではありませんでした。

肉親の「死を望んでいた」こと、これが私の介護に関わることになった「贖罪」の実態です。(林哲也)

 

法要
2014.08.07

 

最近、通夜や告別式に出席してもお寺さんの説教や言葉を聞く機会が少なくなりました。先日義母の7年の法要があり、久しぶりに、お寺さんの説法を聞く機会がありました。
亡くなって四十九日の法要以降は追供養ではなく、亡くなった方が
自分と同じ浄土に来られるように、向こうから教えを伝えてくれているのだそうです。
他に、南無阿弥陀仏の漢字に意味は無く、サンスクリット語に漢字を当てただけで、帰命と不可思議光と訳すそうです。
又、いい人悪い人と判断するときには、必ず自分にとってが
ついている。この自分にとって、を外すと真実が見える。
考えてみると、自分にとって良ければ、悪い人もいい人に見えているのかも・・・・・
これも義母が向こうから教えてくれていると思うと意味があることと思えます。
                      
                                                                                                オバラッチ

 

最近、通夜や告別式に出席してもお寺さんの説教や言葉を聞く機会が少なくなりました。先日義母の7年の法要があり、久しぶりに、お寺さんの説法を聞く機会がありました。

亡くなって四十九日の法要以降は追供養ではなく、亡くなった方が

自分と同じ浄土に来られるように、向こうから教えを伝えてくれているのだそうです。

他に、南無阿弥陀仏の漢字に意味は無く、サンスクリット語に漢字を当てただけで、帰命と不可思議光と訳すそうです。

又、いい人悪い人と判断するときには、必ず自分にとってが

ついている。この自分にとって、を外すと真実が見える。

考えてみると、自分にとって良ければ、悪い人もいい人に見えているのかも・・・・・

これも義母が向こうから教えてくれていると思うと意味があることと思えます。

 

                                                                                                オバラッチ

 

夏といえば
2014.08.05

 

今年も暑い夏がやってまいりました!!
暑い夏といえば、リゾート地でのんびりと過ごすなんて理想ですけども、現実的ではありませんね。
おっさんはビールで乾杯!!
夏を乗り切るためのささやかな喜びです。
昨年より、沖縄びいきのおっさんは、今回もオリオンビールで乾杯です!!
ビギンの歌を聴きながら、かんぱーい!!
おじい自慢のオリオンビール、かんぱーい!!

今年も暑い夏がやってまいりました!!

暑い夏といえば、リゾート地でのんびりと過ごすなんて理想ですけども、現実的ではありませんね。

おっさんはビールで乾杯!!

夏を乗り切るためのささやかな喜びです。

昨年より、沖縄びいきのおっさんは、今回もオリオンビールで乾杯です!!

ビギンの歌を聴きながら、かんぱーい!!

おじい自慢のオリオンビール、かんぱーい!!

 

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