今年も栗林公園のライトアップに行って来ました。
毎年ライトアップのテーマが違うようで光の照らし方が変わっています。どのスポットも良く甲乙つけがたいのですが、私的には、吹上亭付近の池、飛び石を照らし出すスポットが一番良かったと思います。
飛び石が黄色、緑、青と照らし出され、その向こうには偃月橋が水面に浮かび上がり不思議な空間が創りだされていました。
是非、皆さんも癒しの時を過ごされてはいかがでしょうか。
(マッチャン)
11月3日(土) 善通寺 香色山~筆ノ山~我拝師山
清々しい秋晴れのこの日、私は善通寺 我拝師山のてっぺんに立っていた。
前半、それはピクニックだった。後半は急傾斜の長い道が続いたが、10月から始めていたトレーニングの効果を感じ、顔がニヤけて止まらなかった。しかし最後の最後に私たちを待ち構えていたのは、鎖場の崖であった。弘法大師が7歳のときに修行したといわれる崖である。崖を見上げたとき、来たことを後悔した。私自身、鎖場は初めてだし、そういえば高所恐怖症だし…。それでも勇敢な仲間たちに対し、引き返してみますか、とは言えなかった。今までこんなに鎖というものを信用したことがあっただろうか。力いっぱい鎖様を握りしめ、前を行く友人の足運びに目を凝らし、一歩一歩、振り返らずに(タイトルと矛盾するが)よじ登った。もしここで無事に登れなかったらと思うと、大切な人たちの顔が浮かんできた。よく考えたら私より先に小学3年生の女児がスイスイ~と登って行ったのだが。私も小3だったらあれぐらい勇敢にいきますよ。
・・・いつの間にか崖は通り過ぎ、次に眼下に広がったのはこれまた美しい、太陽に輝く讃岐平野。長い坂道を行く間は本当につらいけど、坂の途中であっても終わりが見えた瞬間、自分の中の坂道は終わるのだ。
(山ガール)
(奥に見えるのは瀬戸大橋)
介護は、見方を変えれば「生きる智恵」に満ちた、人生の先輩の生き方に寄り添う仕事です。
私事ですが、母が亡くなって11年、父が昨年無くなって1年となりました。
母が亡くなったときは、何とも言えない喪失感に落ち込みまして、心の中で整理するまでに数年を要しました。
最近、難題にぶつかったときに、母が言っていた人生訓(実際は、子どもを前にした独り言でしたが)を想起することがあります。
小さい頃は、総選挙の看板をみて「当選しないのに立候補する人がいる」と私が言うと、「当選する人が偉い人ではない」と言い、いちばん票の少ないであろう人に、わざわざ投票をしていました。判官贔屓でした。
ある人と長い話をして終わった後に、ため息をついて「口論はいかん。言い負かしても恨みが残るだけ」「人と話をするときは、言い争って勝ったと思っても何も得るものはない、言い負かされて残るのは憎しみだけ」と解説付きでした。
母は、田舎の雑貨屋の店主でした。物心ついたころから、私は店先で働く母親の後ろ姿にまとわりついて生きてきました。今に思えば人生の先生でもあったようです。
そう言えば、私の年齢は、私が社会人になって家を巣立った頃の母親の年齢と同じになってしまいました。自分達の子らに生きる人生の智恵を授けることが出来たか自省しています。
生きる智恵とは、こうして受け継がれていくものかと思うこの頃です。(林哲也)